1-5 面接試験(東博)
- Travel to Face
- 8月3日
- 読了時間: 5分
更新日:10月5日

東京国立博物館は”東博(トーハク)”と多くの方に呼ばれているようです。
東博を初めて訪れた私は、その大きさに驚きました。千円の一般入場券を購入すれば、本館、平成館、東洋館、法隆寺宝物館の平常展示や企画展示を見ることができます。
私は、まず本館に行ってみることにしました。東博の入口から正面に見える立派な建物です。綺麗な青空をバックに赤みがかった茶色の瓦を乗せた白い壁の本館が力強く私を迎えてくれています。
本館の入口の階段を10段ほど上り正面エントランスに入ると大理石の手摺りと素敵なライトで飾られた大階段が目の前に広がります。中世の貴族の様な服装をした背の高い男性が階段をゆっくりと降りてくる姿が頭に浮かびます。訪れる人は、このエントランスに入った瞬間、ここにある展示品の素晴らしさを確信するのではないでしょうか。
平日の昼過ぎのためか訪れている人の多くは外国人のように見えます。何組かの外国人が大階段を背にして記念写真を撮っています。
本館の展示室は1階と2階に分かれていました。エントランスで周囲に気を配りながら立っている「ご案内」のカードを提げた女性の方に「どのように見学するのがよいですか」と尋ねました。
「2階は時代を追って日本の美術の流れが展示されているので2階をご覧になった後、テーマ別に展示されている1階で興味を持たれたものをご覧になると良いですよ」
「ここはお客様も多く、全てをしっかり見ると結構疲れてしまうので、そうしたら法隆寺宝物館に行くのもお勧めです。あそこは静かな中で落ち着いて見学ができます」
笑顔でとても優しく説明する女性の的確で分かりやすいアドバイスに驚きました。
私は女性の方にお礼を告げて大階段を上がりました。
日本の美術の流れは縄文時代から始まります。
素朴な表情の土偶や躍動感に満ちた火焔型土器は、今の私の日常から大きくかけ離れていて何も想像することができません。
7~8世紀頃に作られた観音菩薩立像や如来立像は、どれも人々から愛され大切にされてきたことを感じます。また目を閉じるとどれも暗い部屋の中で蝋燭の明かりや格子窓からの木漏れ日に照らされて揺れています。
黒熊毛で覆われている黒い甲冑を見たとき、先ほど見た鮮やかな朱色に塗られた鞘に収まる刀を腰に差し、戦場で椅子に腰掛ける武士の姿が浮かびました。勇ましい甲冑に朱色の刀がその武人の存在感を引き立てています。武人は今にも立ち上がりそうな気配を漂わせ目を見開いて遠くを見ています。
江戸時代の武家女性の着物に繊細に描かれた刺繍や染柄を見た瞬間、その美しさで私の中の全てが止まりました。私の前を小走りに振り袖の裾を揺らしながら走り去る可愛い女の子、こちらを静かに見ている気品のある武家の奥様。その着物を羽織った人達は、とても自信に満ちています。
茶器とともに茶室に座る自分を思い、床の間に掛かる水墨画を眺める家の主に遇い、そんなことを繰り返しながら2階の展示室を見終わった頃には、入館から2時間以上がたっていました。
そこまで話すと社長さんが言いました。
「私もそんなふうに東博を巡ってみたいな」
「だけど私、社長さんに話をしながら思いました」
「もっと色々なことを知っていれば、例えば作られた時のことや作り方とか、そうすればもっと色々なことが思い描けると」
「それと私の中に今が無いのです」
社長さんが怪訝な顔をして聞きました
「今が無いとは?」
「ごめんなさい。上手に説明できないのですが、私が東博で見たものは多くが今も愛されているし、今も作られていると思うんです。そのことへの思いが無かったんです。きっと私に思い浮かんだ物は、ドラマとか映画とかの場面から出てきたものです」
「時代考証もめちゃくちゃだし、ただのお遊びです」
社長さんは一瞬下を向いて考えるような仕草を見せました。
そして顔を上げて私の目を真っ直ぐに見て言いました。
「どこかにあったものが出てきたのではないよ。旅奈さんの感性がつくる、旅奈さんだけが作ることができるものだよ」
「旅奈さんの話を聞いていると私の中でも展示品への想像がどんどん膨らんでいく」
「そしてその先にある何かを知りたいと思う」
「それは旅奈さんの思いなのかもしれない」
「だけど私はこんな素晴らしい経験をしたことがない」
「旅奈さんの感性と創造力はきっと人を幸せにすることができる」
「本当にそう思う」
私はとても幸せな気持ちになり全てを忘れて満面の笑みを浮かべている自分に気が付きました。
次の瞬間、突然に涙が溢れてきました。
「旅奈さん。うちの会社に来て一緒に働いてくれませんか」
「一緒に日本の文化や伝統工芸を学びませんか」
「そして旅奈さんが日本の文化や伝統工芸に触れて感じたことを多くの人に紹介しましょう」
遠くで微笑むハイジさんの顔が涙でにじんでいました。
社長さんの言葉で頭の中が真っ白になった私は幾つかの会話をした後、ハイジさんから事務的な説明を受けて面接は終わりました。

社長さんとハイジさんは私を事務所の外まで出て見送ってくれました。
私は経験したことのない心の高ぶりを感じながら雷門通りを吾妻橋に向かってただ歩きました。
墨田公園に着いて隅田川をしばらく眺めていると次第に自分自身が戻ってくるのを感じました。
「私の感じたことを紹介するとは、どんなことだろうか」
「私にできるのだろうか」
「だけど、やってみたい」
隅田川は流れています。




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