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1-4 面接試験(その2)

  • 執筆者の写真:  Travel to Face
    Travel to Face
  • 7月27日
  • 読了時間: 4分

更新日:10月5日


グラスの中の氷が私に向かって答えるように「カッチ」と言って小さく動きました。

突然、背後にある自動扉の開く音がして熱風が流れ込んできました。

「よかった。本当によかった」

涼やかな女性の声です。こちらに向かって何かを訴えているように聞こえます。

「ハイジさん。どうしたんだい」

社長さんが驚いた顔で声の方に向かって言いました。

ソファーに座ったまま振り返って入り口の方を見ると身長が170cmぐらいの薄い桃色のワンピースを着た女性が日傘を持って立っています。

「すてき」

自然に言葉が出ました。

肩から下げた白いトートバックと白いサンダルがとても涼しげです。

ハイジが大人になってアルプスのお花畑から都会にやってくると、こんな素敵な女性になるんだ。

「旅奈さん。旅奈さんでしたよね。」

夢心地で眺めていた素敵な女性が急に私の名前を呼んだので身体をひねって浅く腰掛けていた私は椅子からすべり落ちながら「はい」と答えました。

「あら」と言ってハイジさんが私の方に駆け寄って来ます。

私が座っているソファーの背に両手を乗せ腰を落としたハイジさんは、私の目を正面から真っ直ぐに見て話し始めました。

「大丈夫?」

「ごめんなさい、突然現れて」

「だけど旅奈さん、若い女性が事務所で”マルさん”と2人きりで面接をするなんて非常識な会社だと思ったでしょ」

「嫌になって帰ってしまうのではないかと思ったわ」

「面接を受けていても不安ではないかと心配したのよ」

「だけど大丈夫だったみたいね。よかった」

「”マルさん”は面倒見が良い頼りになる社長なんだけど」

ハイジさんはそこまで言うと社長さんの顔をチラリと見ました。

社長さんは右手で頭の後ろを掻きながら下を向いて複雑な表情をしています。

「お客様にお茶をお出しするのになぜコースターを敷いていないのですか」

怒るわけでもなく子供に話しかけるようなやさしい口調です。

「探したのだけれど見つからなくて」

社長さんは天井を見上げながら両手を使った大げさな仕草で頭を掻いて笑っています。

ハイジさんは、日傘をカウンターに掛けるとソファーテーブルの上にあった二つのグラスをもって奥の部屋に入っていきました。

社長さんの話によると、

今日は”先生”と呼ばれている社員の方が出社する予定だったそうです。しかし、昨日から体調が悪くなり、今日事務所にいるのは社長さん一人になったそうです。ハイジさんがなぜそのことを知っているのか不思議がっていました。また、ハイジさんが言ったようなことは思いもつかなかっと話してくれました。

「申し訳ありません。嫌な思いをさせてしまったようですね」

社長さんは、両手を膝に置いて背筋を伸ばして小さく頭を下げました。

「いえ、全然そんなことはありません」

私はこの事務所に入る時、目の前にある面接試験に立ち向かうことで頭がいっぱいでした。

「そういうことにも気が付くように...」

そこまで私が言うとハイジさんが戻ってきました。

ハイジさんは私の方を見て微笑むと、テーブルの上にあったグラスの跡を丁寧に拭き取り、コースターに載った新しいグラスを二つ置きました。

「先生から電話があって『明日も休むので机の上の書類をマルさんに見て貰って宅急便で送って下さい。』と言っていました」

そう言うとハイジさんは、ニコニコしながら田の字に並んだ席の一つに腰掛けて仕事の準備を始めました。

エアコンで冷やされた堅い空気が柔らかくなったように感じます。

社長さんは会社のなかで”マルさん”と呼ばれているのでしょうか

するとグラスの中の氷が私に返事をするかのように「プチ、カチ」と鳴りました。


「何を話していたか忘れてしまいましたね」

真面目な顔で話を始めた社長さんの髪の毛は、さっき大げさに頭を掻いたせいでボサボサです。

笑いをこらえながら見る私の視線で気が付いたのか社長さんは慌てて髪型を直しました。

左右の腰に手を置いて胸を張って、もっと真面目な顔をして私に聞きました。

「最近どこかへ旅行に行きましたか」

そしてこれまでの優しい笑顔に戻って私の答えを待っています。

「ここ一年は就職活動や卒業論文の準備で忙しくてどこへもいけませんでした」

面接試験であることを忘れて答えている自分に驚きました。

「だけど先週ちょっと時間ができたので東京国立博物館に行ってきました」

その時、社長さんの背筋が伸びたように見えました。

「どうでしたか」

「ここから近いので私もよく行くのですよ」

そこは私にとっては初めての訪問でした。私の妄想というか想像する楽しみをとても満たしてくれる場所です。展示品を見て自分で作り出す映像やストーリーに満足したり、なにも作れない自分に落胆したりしながら、自分でも驚くほど時間をかけて見て回りました。

「本館の2階しか見ることができなかったのですが、とても楽しめる場所です」

「何が楽しかったのですか」

社長さんの目が丸くなっています。

私はここから自分が東京国立博物館で過ごした楽しい時間の話をすることとなりました。




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