2-2 伝統工芸と企画旅行
- Travel to Face
- 10月29日
- 読了時間: 4分
更新日:11月17日
旅奈は今出来上がったばかりの「都内桜巡りツアー」の旅程表を見て心の中で自分を褒めていた。
「しっかりとできている」
ハイジさんに見て貰おう。
そういえば、私が初めてここに来た時、隅田川に桜が咲いていた。
入社して半年、ツアー企画やツアー添乗を手伝い、国内旅程管理者の資格も取得した。少しだけだが戦力になっている感じがする。
だけど入社初日に社長から言われた ”日本の文化・工芸のツアーの企画” は、どうやって作ればよいのだろう?
ぜんぜん分からない。

伝統工芸品をインターネットで調べ、百貨店、美術館、青山スクエアーなどに実物も見に行った。とても美しく繊細な染織物、様々な表現から生まれる陶磁器の存在感。すべての伝統工芸品が素晴らしかった。それは全て人の手で作られている。
しかし私の頭の中にそれを作る人や使う人の姿が浮かんで来ない。伝統工芸に取り組んでいる人の話はとても深くて私など近づくこともできない。
知識や経験の無い私に伝統工芸をテーマにした旅行の企画はできないと思う。
「旅奈さん。さっきからパソコンを虚ろな瞳で眺めているけど10月病になっちゃたの」
ハイジさんがお気に入りの花柄のコーヒーカップを片手に微笑んでいる。
「旅奈さんはそんなタイプじゃないわよね」
「10月病?」
まだ私の頭の中は伝統工芸 でいっぱいだ。
ハイジさんはいつもの爽やかな微笑みをやめ、コーヒーカップをテーブルの上に置いて私の顔をのぞき込んだ。
「10月病。4月に入社した新入社員や新入生が強いストレスと共に夏を乗り越え、ようやく慣れたきた10月頃、気候の変化で体調の不調を感じること」
その時、通用口に通じる給湯室の扉が開いた。
「ただいま。今帰ったよ」
私を見つめるハイジさんの表情がぱっと明るくなった。
「酒匠さん。今日のお土産は何ですか?」
パソコンを食い入るように見つめながら先生が尋ねる。これは、酒匠さんがお土産を持って出張から帰ったときの決まり文句。
「栗のお菓子と”なまざけ”。”なまざけ”はもう冷蔵庫に入れたけどね」
酒匠さんは給湯室の方を指さした。
「週末にみんなで味見をしよう。私が出張に出るときのマルさんからのリクエストだ」
私は不思議に思った。
「埼玉へ行って”生の鮭”を買ってきたのですか?」
部屋中にみんなの大きな笑い声が広がる。
「生の日本酒のことを生酒と言うんだ」
日本酒にも生があって、冷蔵庫で保管することが理解できない。
「生って?」
私の質問が声になる前に酒匠さんが話を続けた。
「今日行った巾着田、パンフレットによると巾着田曼珠沙華公園。すごく良かった。来年は栗拾いや栗スイーツとセットにして企画を作りたいんだけど」
酒匠さんは何かを考えながら一眼レフカメラを机に置き、パソコンと接続した。
「曼珠沙華は彼岸花と言われ、普通は秋のお彼岸の頃に満開を迎える花なんだ。お彼岸の頃、巾着田のある日高市は栗拾いができる。だいたい9月末まで。だけど最近の高温で彼岸花が彼岸に咲かなくなった。今年は10月の初旬が満開だった。これでは栗拾いが終わってしまう」
パソコンの画面には一面を真っ赤に染める彼岸花が写っている。
「曼珠沙華にはサンスクリット語で ”天界に咲く花” という意味があるそうだ」
写真が変わるたびにみんなから驚きの声が漏れる。
「ここには約500万本の曼珠沙華、天界の花が咲いている」
パソコンの画面に映し出される景色は、現実の世界とは思えない静けさと美しさだった。
多くの観光客が訪れていることを全く感じさせない赤い花たちは人々の存在を圧倒している。ここを訪れる人は、この花たちの美しさとエネルギー、そして非日常に感動しているに違いない。
旅奈は思い出した。
私は伝統工芸品を見た瞬間、その美しさとエネルギー、そして非日常に感動していた。
伝統工芸品は素晴らしい。だけど私には伝統工芸品を買うことも使うことも難しい。だからこの曼珠沙華と同じで、私にとって伝統工芸品を見ることは非日常との出会いなんだ。
しかし伝統工芸品はそれだけではない。私が想像もできない人の技がそこにある。
買えなくても使えなくても、伝統工芸品と日常をつなげる旅が作れないだろうか?
ところで、生酒ってなに?



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